築100年越の古民家、念願の田舎暮らし 

大阪市から念願の田舎暮らしを実現した武田明美さん(61)は、昨年8月、初めて大田市を訪れました。
今春、仁摩町馬路にある明治以前建築の築100年を超える古民家を購入。移住に向けて、建物の改修や家具等の修繕など約4ヵ月にわたる準備を着々と進められ、この8月、離れを利用した「田舎ツーリズムの宿(島根県の制度)」「甍のギャラリー馬路」をオープンしました。

「60歳を目途に田舎暮らしをしたい」と長年想いを馳せていたという武田さん。
幼少期を鹿児島県で過ごし、約50年近く大阪で暮らしてきたなかで、年齢を重ねること50代後半頃から、田舎暮らしに関する雑誌に目が向くようになり、全国の物件情報を探していたところ、愛読雑誌に昨年の6月に大田市の物件などを一面に大きく掲載した、今回移住した古民家の売却情報を見て、心が動いたといいます。

心を動かし早速行動

早速、武田さんは京都市に住む兄の宇留島美好さん(63)に相談する。 
宇留島さんは、書家でフリーランスとして古家具の修理に携わり、自然の物を利用したクラフト作りもされる、頼りになるお兄さんです。 
宇留島さん自身、司馬遼太郎の歴史小説で「銀の道」のことを知り、武田さんから相談があったとき、偶然にも興味を惹かれることとなりました。大阪から高速バスとJRを乗り継ぎ、長女の由香さんと3人で空き家見学に大田市を訪れたのは、夏の盛りでした。 
市内の空き家3軒を見学して、本命の古民家を見学したのは夕暮れ前になり、この古民家を一生懸命見ていたのは武田さんより、兄の、宇留島さんの方で、実は武田さん親子は、藪蚊に刺され逃げ回り、見学どころではなかったようです。

海岸線の美しさに感動

でも、その時に見た、琴ケ浜からの海岸線の美しさに感動し、また、忘れられなかったのが、この古民家と馬路(まじ)という地名に関西人の心をくすぐったそうです。 

再度、大田市を訪れたのが、今春の3月お彼岸でした。町を行き交う子ども連れの親子や高齢者まで、身も知れぬ私たちに対して、あいさつをしてくれるので驚きだったとか。このとき、武田さんの想いをお兄さんが書いたギャラリー構想を持参され、移住への熱い想いを語られました。



大田市との縁 神様の導き

この古民家は、馬路ではかつて網元が所有していた旧家でした。宅地300坪には大きな庭と畑90坪。母屋の他に内蔵や納屋があるなど地域の歴史を伝える文化的な建物でもあります。「この家との出会いがあった」と武田さん。島根県は神様の導きがあったのだと言われます。

昨年秋から、宇留島さんが定期的に訪れては家の修繕や家具の修理をしながら、武田さんの移住計画を進めてきました。 
大阪で十数年お好み焼き屋を経営していた経験を活かし、色々な人が出入りできる交流施設にしたいと、島根県の田舎ツーリズムの宿の登録や保健所の許可を取得し、軽食なども提供できる施設となりました。

田舎暮らし 地域と仲良く

田舎暮らしは、地域との繋がりや関係づくりが一番大切という兄妹です。武田さんは、「ここは私も楽しめる、皆さんも楽しめる場所にしたい」と民泊施設の計画を実行してきました。

また、移住後、JA石見銀山が主宰する「農援塾(野菜作り教室)」に生徒として参加し、仲間づくりや畑仕事に精を出しています。今では、まちづくりセンターや地域が主催するイベントや行事に積極的に参加している兄妹を地元では知らない人がいないくらいの行動力です。

お兄さんの宇留島さんは、妹さんの移住を支援してきましたが、準備で数カ月間滞在するなか、人との出会いや海などの自然の素晴らしさに魅了され、馬路が大好きになり、自分も移住を決意され、現在、兄妹力を合わせながら、仲良く田舎暮らしを満喫しています。

 


この記事は「どがなかな大田市です!!」Vol.25(2013年10月発行)に掲載されたものです。記事の内容は掲載時点の情報です。