巧みな技で鏝絵を創作 やりたい時に、やりたいように創る

皆さんは、鏝絵(こてえ)をご存知ですか。鏝絵とは、左官が色漆喰(しっくい)を使い、民家、土蔵や社寺の白壁に、動植物などを描いたレリーフのことをいいます。石見地方出身の石州左官の技術は高く、明治時代から昭和初期にかけての名作が国会議事堂や東宮御所など全国に残されています。
現代の鏝絵作家・左官の松浦満幸さんを尋ねてみました。

鏝絵との出会い

仁摩町馬路の松浦満幸さんは、左官仕事のかたわら鏝絵の創作に励んでいます。石州左官と呼ばれる松浦さんは、「昔の石州左官は、朝早くから夜遅くまで寝る間を惜しんで働いたと言われているが、自分はそんなことなかったなぁ。仕事が大儀な時もあったし。だから、石州左官とは言えんかもしれんなぁ」と。
馬路の中学校を卒業後、左官になろうと大阪へ行き、忙しい日々を送っていましたが、次第に左官の仕なくなり、「こんな状態なら、馬路で左官仕事をしても同じだなぁ」と田舎に帰ることを決意し、39歳の時にふるさとの馬路へ帰ってきました。そんな折に、たまたま鏝絵の展示を目にして「自分にも出来るかもしれんなぁ、やってみようか」という軽い気持ちで、地元の仲間たちと鏝絵をつくり始めました。
今では、伝統ある鏝絵の技や魅力を伝えていくため、地元の人を対象に鏝絵教室を開催するなど、子どもから大人まで鏝絵を体験できる活動を行っています。

鏝絵はライフワーク

松浦さんの一作目は馬路満行寺にある『天人』で、地元の協力もあり、約2ヶ月で完成しました。
2作目は、馬路の産と伝わる名馬『池月』を作品にしました。馬の立体感を出すため、竹に小さい紐を付け、漆喰(しっくい)を塗る、細かい作業を何度も繰り返し、完成した名馬は実に見事なものです。「人前にさらすということになると責任が出てくる。自分が納得しないものが出来てもいけん」と作品にこだわりを持ち、納得のいくまで作り直します。
松浦さんは、これからも仕事をやりながら鏝絵づくりを続けていきたいと話します。鏝絵は決して趣味でもなく、仕事でもない。「やりたい時にやって、やりたいようにやる」、遊び心が興じて今の鏝絵があるといいます。


この記事は「どがなかな大田市です!!」Vol.1(2005年12月発行)に掲載されたものです。
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