不言城(福光城)は元々福光氏の居城であった が、 1559 年に毛利家家臣の吉川経安 ( きっかわつ ねやす ) がこの地に所領を与えられた際に改修を加 えて居城とした。急峻な山に二の丸、三の丸を備 えた本格的な山城である。

当時は毛利氏と尼子氏による銀山争奪戦のさな か。福光は主要街道が交わり、港も有する交通拠 点として栄えていた。さらに銀山を守る最前線で あり、尼子氏と石見の尼子派勢力を分断する軍事 上の要衝でもあった。 1561   尼子方 5,000 人の 攻撃を受けたが、経安は当時まだ珍しかった鉄砲 を活用し見事撃退している。

経安の子・経家(つねいえ)は、 1581 年鳥取 城で羽柴(後の豊臣)秀吉と戦い、兵士や民衆の 助命のため自害した悲劇の名将として有名である。 鳥取城山麓には銅像が立てられ、毎年慰霊祭が催 されている。また、岩国市にある石見吉川氏の屋 敷跡にも 弔魂碑が建立されている。

経安が京の石工   坪内氏を招いて興した福光石の 採掘・加工は、その後、五百羅漢などに用いられ、 地域の文化・景観にも大きな影響を与えた。

不言城は経安・経家・経実(つねみ)の3代に 渡って居城として利用されたが、 1593 年に経実が 吉川氏本家の家老に迎えられ、岩国に移るととも に廃城となった。

吉川氏による統治はわずか 34 年間であったが、福光石や菩提寺の浄光寺、祈 祷寺の楞厳寺(りょうごんじ)など、現在も当時を偲ばせるものが色濃く残る。

城跡は地元の不言城会により案内看板や山道が整備されており、 20 分あれば 本丸まで登ることができる。石垣や巨石・観音像などが残り、廃城となって 400 年を経た今なお往時の風情を残している。

(出典:温泉津町誌・不言城会パンフレット・(有)坪内石材店HPほか)

◆登山口まではJR石見福光駅から車で約5分、徒歩で20分◆


 番所跡に残る石垣


巨石の立ち並ぶ山道



この記事は「どがなかな大田市です!!」Vol.11(2008年2月発行)に掲載されたものです。
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